即席垂れ流し

備忘録のような何か

酷暑により生まれた(?)疑問

 久々の更新ですが、現在はデカルト省察を読んで〼。線型代数どころかニュートン力学微積分が生まれる前の時代の科学者が書いた本だから余裕で読破できるだろうと高を括っていた時期もありました。省察を読み終えるのは8月頭位になりそうなので読み終えて何か思いついたら再び更新する予定。

 では生まれた疑問というのはウィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙せねばならない」の「語りえぬもの」*1とは何であろうかというものである。

 本文の最後を私なりに解釈すると「世界がある、という神秘的なことの原因を神に委ね、その神について考察しても答えは得られない」となる。デカルトやカントのように神という観念を認めて*2形而上学的な論理展開を行った人々に対する批判(警告?)とも解釈できる。ならば「神という前提は何も帰結しない」と言わずに「語りえぬもの」と言った意図は何であろうか?

 「語りえぬもの」とは例えばキメラのように現実には存在しない生物の生態だろうか?いやそれは違う。ウィトゲンシュタインの言葉を借りれば、この世に存在しないものについて語るのは単にナンセンスである*3。ナンセンスなものは想像で好きに設定できる。つまりナンセンスなものは言及した時点で全て「知られて」いる。よって、そもそもナンセンスではあるが、それについて語りつくすことは可能である。

 以上より「語りえぬもの」とは実在はするが我々の認識の限界にあるものでしかないことが分かった。では神以外にそれは一体何があるのであろうか?

*1:英語版でも"whereof one"とある。恐らく原著でも「語りえぬもの」と同等の抽象的な言葉が書かれていたはずである。

*2:省察を読み終えていないので具体的な評価はできないが、デカルトは一応神の存在に対するア・ポステリオリな証明を与えている。カントは突然神をア・プリオリに認めるので論外。

*3:現実世界にあるものと存在しないものを組み合わせたものが主語の文章は論理として偽となる。存在し得ないもの単体が主語ならばナンセンスである。つまり、ナンセンスなものと現実にあるものを組み合わせた主語は矛盾そのものつまり偽となる。2つの元(存在)からなる複合的な主語を「x A y」とする。x,yは集合(実在)もしくは(非実在)の元、Aは複合的な主語を作る演算子のようなものと定義した。Aは2つの元が与えられて初めて意味をもつためこれにエラーはない。先の言葉を数式にするとx,y∈(実在) ∩ x A y∈(実在)のときのみ意味を持つということになる。