即席垂れ流し

備忘録のような何か

ある広告について

 タイトルの通り、YouTubeで動画を再生していたらあ●りょうの広告が流れてきました。最近はあまり見かけなかったので油断していたのもあるが頭に血が上ってる。以下はその勢いです。

 彼の歌詞に対しての批判として、事実をメロディーに乗っけているだけでご本人様の考察らしい考察が一切見られない点が挙げられる。「情報なんて手元のスマホで調べられるでしょ」と思ったのも束の間で「面白い」、「独創的」、「共感した」と言った類のコメントばかり。(歌だけに頼るのではなくてニュース見れば良いだろ、という言葉は飲み込み)100歩譲って前二つは良いとしても共感する要素どこだよ、と突っ込みを入れたくなる。いや、そのようなコメントをされた方はきっと学校の先生が数学の教科書を読み上げただけでも嗚咽を漏らしたり腹を抱えて笑えるような豊かな感受性をもっておられるに違いない(マジもんの数学屋さんで、美しい定理を理解すると泣いてしまうような人々に対する僻みに起因する例えではないよ。ここでの意味合いとしては単に騒ぐことが目的な野次馬根性のミーハーの民、とも言えるかも)。信者への悪口はこの程度にしておいて、歌詞の批判に戻る。「意識高い警報」は要するにふぁぼりつ稼いだり格好良い横文字で自分を誇張する風潮をネチネチと垂れ流していたものなのだが、その中にYouTuberを批判する部分があった。うろ覚えだが「小学生でも紙に書いて計算すればYouTuberとして生計を立てる(動画内では東京都民の平均月収と比較)のは非現実的、わかるだろばーか」といった内容だった。ここで私が最初に挙げた批判がもう一度顔を出す。この歌を作ってる本人もスマホを所持する小学生でも得られる知識を垂れ流しているだけなのだ。「他人の振り見て我が振り直せ」という言葉は忘れてはならないと再認識させられる(実際私の主張も薄っぺらい)。